隙あらば自分語り

備忘録で雑記です。思想のゴミ箱です。自己顕示欲性廃棄物最終埋め立て処分場です。

高専5年間を振り返る 3年生

前の記事が去年の夏ってマジ?

卒業秒読み段階で薄々書かないとマジやべぇと思い始めたので、構文も文法もクソもない備忘録シリーズを再開します。開けたなら読めよ。面白くないけど読めよ。

三年生は遊べる最後の年

高専生、特に僕と同じ学校の人は一度は聞いたことあるんじゃないでしょうか。高専生生活も折り返し地点、まだ任期は半分と言ったところですが、4~5年生はイベント盛りだくさんで遊んでいるどころではない、と。

今になって言えますが半分本当、半分脅しって感じのことわざです。就職せずに受験する学生は、4年生の1年間は勉強に溶けますが、別に勉強やらなければいけないわけでもなく、要領のいい人や専攻科でいい人は遊べます。

ただ5年生は本当に余裕なかったので確実に遊べません。受験、就活、卒業研究で気づいたら2月ですよ。そりゃ時間ゼロってわけではないですが、合間を縫ってか無理に時間作ってでしか遊べませんでした。だからこの記事書くのがこの時期になっているのも仕方がない。そう、仕方がない。


さて、無事に3年生になった僕ですが、この年の僕をオカンが端的に一言で表してくれました。「生き急ぎすぎちゃう?」
無性にイラっと来ますね~。血が争えないだけにあなたにだけは言われたくないと今も思ってます。
何が腹立つかって間違ってないから腹立つんですよね。だって「三年生は遊べる最後の年」のことわざを真に受けた自分の3年生の目標が「出来るうちにやりたいことなんでもやる」でしたもん。

そりゃもう「残りの高専生活全部をこの一年につぎ込んでやる」みたいなノリだったので、確実に生き急いでます。

生き急いだ内容

さて、そんな生き急ぎ3年生の僕がこの1年でやったことをご紹介します。


いろいろやってますね~。今からしてもいろいろやってますね~。箇条書きにするとあんまりそんな感じしないけどいろいろやったってことにしたいですね。

・・・2年生編を読んだ、あるいは覚えている物好き様はご存知でしょうが、僕はこの3年生を「大失態編」と呼んでいます。
どういうことかと言うと、

  • 学校から金を巻き上げてVR機器買って遊ぶ(ほぼ金をどぶに捨てる)
  • 同人誌を作ってコミケに参加する(ほぼ売れ残った)
  • 第二種陸上特殊無線技士の資格を取る(これは取れたが正直小学生でも取れる)
  • 高専カンファレンスを主催する(成功したが炎上プロジェクトと化した)


とまあ、結論言えばほぼ全て失敗同然みたいな散々たる結果に終わったためです。
あとこれらとは別に、高専祭で3つぐらい仕事を掛け持ちしてバイタルぼろぼろになったり、突如高専祭の後夜祭でピンチヒッターとして女装コンテストの審査員になったらクラスメイトから全力の罵声を浴びたりした挙句、その直後にゲームグループで大戦争に巻き込まれてしまって精神病んだりもしました。たのしー

そんなこんなで、勝手に自爆するならまだしも多くの人間を微妙に巻き込んで死んだ年だったので、僕はこの年を大失態編と呼んでいます。
逆にここでコテンパンにされたせいで4年生以降急激に落ち着いたとか言われたのはまた次回で、残りの余白に具体的な失敗を書き連ねます。反面教師にしよう!

生き急ぎ集

学校から金を巻き上げてVR機器買って遊ぶ(ほぼ金をどぶに捨てる)

僕の高専には「学生チャレンジプロジェクト」なるものがあります。
学生が「チャレンジしたいこと」をプレゼンし、学校の選定を勝ち取れば10万円を支給してくれる、というめちゃくちゃシンプルに”良い”企画です。

・・・”良い”企画のはずなんですけど、校内における知名度が壊滅的だったり、プロジェクト採択のノウハウを持つ学科有志グループの寡占状態だったり、そもそも10万っていうそこそこ微妙な金額だったりで、半分死んでた企画でした。

というか、僕が2年生の頃から参加している機械工学科主催のサークルみたいな何かが、寡占状態の原因だったのですが。

さて2年生編でもご紹介しました、T-6Gテキサン練習機

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すき

僕の高専に、展示と言う名目で20年間放置されている古い飛行機です。
僕は趣味の本職がミリタリーで、2年生の頃は「テキサンレストアプロジェクト」にて、ほんの末端の末端ですがこのテキサンの修復に関わらせていただきました。

このテキサンレストアプロジェクトが、僕が2年生時の学生チャレンジプロジェクトです。機械工学科の有志サークルが主催し、チャレンジプロジェクトに採択されたところに、僕が途中参加したのが2年生の頃でした。
「機体の破損状態を調べる」が目的であった2年生時のプロジェクトは成功に終わり、いよいよ翌年から本格的な修理プロジェクトを立ち上げ応募したいです!と先生に提案したところ、「チャレプロでは今まで前年度の後継プロジェクトが採用されたことが無いよ。学校クソだよね」といった愉快なお返事をいただけました。

この時点でガン萎えします。あまりにも定形すぎて陳腐で毛嫌いしていた高専はクソ」のフレーズをこの時初めて本気で言いました。コイツ斜に構えすぎでは?

あまりにもキレ散らかしたので、「後継プロジェクトのようで後継でないグレー企画で」「企画趣旨と企画内容に学校への皮肉をこめて」「もらった金で遊ぶための」プロジェクトを作りチャレプロに殴り込みました。そしたらなんか採択されました。

タイトルは「テキサンをVRで飛ばそう!」。
売り文句:いまはやりのぶいあーるをつかってがっこーのしんぼるのてきさんをみて、みんなにきょうみをもってもらおう!
本音:VRで遊びたい、学校の分かりやすく目立つところに飛行機置いといて放置している現状を学校内外にバラす(高専祭で展示義務があるので)

そうして勝ち取った予算でVRマシーンを買い、VRの甘言に誘われた後輩に提出用のブツを作らせ、自分はVRで遊んで、高専祭で「学校クソだよね~!」と言い触れる仕事をしました。
そんな身勝手をやっていたら、出資者である後援会と学校に成果報告をするチャレプロ最後の催しであまりにも微妙な成果を叩きつけてしまい主賓様方の「?????????」という感想を戴いて、関係者からは「これVRマシン買って遊んだだけでは?」と思われ、採択をめぐり争った「高専刀プロジェクト(刀の製法で刀風オブジェを作りたい)」は機械科の後援で実現し、子供受けもよく結果も成功に終わり学会デビューまでしたりして、そこそこ恥ずかしい思いをして終わりました。

ごめんよ、巻き込んだ後輩、蹴落とした高専刀プロジェクト。流石に少し反省した。

(一応、レストアプロジェクト自体は高専OB会が偶然同時期に企画していた創立50周年記念プロジェクトにて引き継がれ、前輪タイヤと風防をアメリカから取り寄せた本物と交換したりして、目標は若干達成されました。)

同人誌を作ってコミケに参加する(ほぼ売れ残った)

これは
hokuro510.hatenablog.com
の時に僕が登壇した「C96サークル参加レポート ~参加前夜まで本書いてて新刊三冊持って女装コスプレさせられてサークル参加した話~」でもお話したので、これ聞いたことある人はそれ思い出してください。

この年、初めてサークル参加したコミケで、40/60部売れ残しました。

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この後40部売れ残る

めっちゃショックですよ。だってコミケのために半年消えてますからね。アレめっちゃ大変ですよ。

失敗原因としては単純で、「誰も欲さないものをお出しした」からでした。

この話に関しては「同人誌出してみたいな~」とか思ってる人というか、とにかくなんでもいいけど「自分の作ったものを売りたいor他人に見て欲しい使ってほしい」と思う人には読んで欲しいのですが、人間欲しいものでも満足を得られそうにないと買わないということを身をもって学んだ失敗でした。

よくTwitterとかで見るじゃないですか。見なくても見るんですよ。「同人は自分の作りたいものを作れ!!」っていうツイート。あれ大嘘ですからね。偶然自分のお出しするものと購買者の需要が一致している人しか言えないですからね。コミケの底辺を知ると言えないですからねあんなの。

僕はその言葉を鵜呑みにしてめちゃくちゃ売れ残しました。そして思いました。
売れないコミケは一ミリも楽しくない。

なので正確には「自分の作りたいものと参加者の欲するものをすり合わせたものを作れ」です。作ってて楽しい範疇で、どうすれば手に取ってもらえるかを考えるモノづくりってそれはそれで楽しいし、そもそもサークル参加者と一般参加者双方あってのコミケであって、どちらか片方の独善では成り立たないイベントだと気づきました。

そういう意味ではめちゃくちゃいい経験でした。実際次に参加したコミケでは70部分を午前中で売り切りましたし。

要するに甘い見通しと情報の鵜呑みと、Twitterの見過ぎが原因でした。ちなみに在庫は今でも部屋の隅で瘴気を放って眠っているよ!

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アホほど売れ残った同人誌のために依頼した挿絵。テキサンちゃん

高専カンファレンスを主催する(成功したが炎上プロジェクトと化した)

kosenconf.jp
これ。129奈良カンファレンスです。

チャレプロの小恥、コミケの大損にめげない僕が続いて企画して、おそらく一番直接的に他人に迷惑をかけた企画です。
僕の肩書は副実行委員長でしたが、提案して声掛けをしては僕なので実質的に一番悪いのはコイツです。

きっかけは、前年に参加した121京都カンファレンスで(129奈良の)実行委員長とお話をしたことでした。
kosenconf.jp

この高専カンファレンス、開催される地域は結構固定で、やはりその地域に近い高専生が主催に関わっている事が多いです。京都は舞鶴と、記憶が正しければ明石奈良も関わってたと思います。

「そういえば奈良開催ってないですよね〜」的なお話を実行委員長としていて(実行委員長は奈良の院生の方でした)、じゃ声かけてくださればやりましょうみたいな話になって、お互い忘れかけた頃に突如として僕が声かけをして開催の運びとなりました。

そして実行委員長を実行委員長と祭り上げて、高専カンファレンス狂と当時は知られていた某高専の姉御にヘルプを頼んで、企画したはいいものの
まぁグダりにグダって。姉御に怒られるし実行委員は辞めた。

というか今思い出したんですけど、このブログ作った理由はこのカンファレンスで各所に迷惑をかけたことに対する謝罪掲載のためでした。

高専カンファレンスin奈良を提案した話 - 隙あらば自分語り
あったこれだ。もうこれ読んでください。恥ずかしいけど。

最終的に自高専後輩にも泣きついてもうなるようになれとヤケクソで開催したところなんか大成功して、「こんなに笑ったカンファは初めて」「新鮮なカンファだった」とお褒め(?)もいただきました。

今思えば、高専カンファのセオリーから外れすぎてる回だったから、コレで受けなかったら完全にカンファ界から干された気がします。無知って罪。

しかしいくら参加者様の反応が良くても、結果が良いだけで過程は駄目なので、既に本年度数多の失敗を重ねてる僕の心は完全に折れます。


嘘つきました。正確にはこの直後、弓道の弐段昇段試験を受けて普通に落ちたことで完全に折れました。


そんなこんなで失敗続きの3年生となりました。次回、悟りを開いた4年生編多分書きます。読まれてなくとも僕の5年間の備忘録なので、書きます。