隙あらば自分語り

備忘録で雑記です。思想のゴミ箱です。自己顕示欲性廃棄物最終埋め立て処分場です。

高専5年間を振り返る 5年生

モノを書くのが好きな性分なので今までいろいろ書いてきましたが、シリーズものを完結させるってわりと無かったから無事書ききれてほっとしてます

本日卒業

しました!
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会う人全てにサラリーマンと呼ばれるぼく

肩書は曖昧な時期だけど、精神的な区切りは今日で付けなければな~と思ったので、卒業直後の今に書いています。本日が高専生とかいう肩書でモノを語れる最後の日なので、覚えてる限り絞り出そうと思います。

受験した!?コロナ禍の中で!?

もう名前聞くのも飽きたコイツが暴れだしたのが20年の1月~なので、僕にとっては4年生の終わりから始まったことになります。

つまるところ大学編入受験勉強が本格化してきたころにぶつけられました。

僕の話しはいつもの↓これ読んでくださいという感じなので省いて、当時の編入組の状況を思い出してみます。
hokuro510.hatenablog.com

TOEIC

まず大学編入に必要となることが多いTOEIC。レベル高いとこ目指すほど必要になる雰囲気あります。例の記事↑でも書いてますが、何故かうちのクラスは上昇志向が凄い上に皆賢いので、こぞってTOEICしてる印象でした。

僕はTOEIC要らない可能性の方が大きかったですが、みんな勉強してるのでなんとなくでやってました。実際受験にスコア使わんかったし。
それでも必要となる可能性はそこそこあったのにあんなにサボってたの今になって思うと愚かと思います。

名高くて賢い大学を目指す人達はボーダー600だの750だの言ってました。早い人で4年生の11月の試験から始めて、受験校にスコア提出しなきゃいけない5~6月に間に合う4月まで、最大5回チャレンジ(2月は試験が無い)できます。本当にTOEIC頑張らなければならない人や、それ以外の教科が大事なのでさっさと終わらせたい人等、半分ぐらいの人は11月回からやってました。残りの半分ぐらいの人は年明けからTOEIC始めてました。それでも3回はチャレンジできるので本気でTOEICやるなら十分なスケジュールと思います。


ここにコロナをぶち込んでみようと思います!


はい、3~5月の試験が無くなりました。

つまるところ、半分ぐらいの人はTOEICで死にました。

無いなら無いでいいんですけど、ダイヤモンドプリンセス~コロナ一波までのあの時期って先行き不透明すぎて、中止となった回に申し込んだ人は返金ではなく次回に振り替えだとか、受験校は受験校でそれまでのスコアで評価だのTOEICナシだのてんやわんやで受験者は振り回されまくっていて。
TOEIC受ける必要のある編入受験者は、TOEIC関連のパニックで普通の受験勉強まで振り回されてたって感じでした。

延期延期延期延期変更変更変更変更

大学や専攻科の試験日延期オンパレード。今になって思い出せば結構イライラしますね。

それでもあの時期って、世間に蔓延る不安感だけでなく、自分の境遇における不安、大学側の結構低い姿勢が合わさって、あんまり気になっては無かった気がします。

あまりにも延期だの変更だのが重なってビビった結果が僕ですが、自分を曲げず挑んだ勇者たちがいっぱいいました。世辞でもなんでもなくすごいと思います。受験が2~4ヶ月ぐらい長引くんですよ。僕には無理です。心壊します。

研究

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最初期のデスク。自称入社直後の涼風青葉デスク

受験が前半のメインイベントとしたら、こっちは通年のメインイベントですね。メインイベントしかねぇなこの学年

専攻と言うか、興味があった分野が電波なので、ウチの学科に唯一あったそれっぽ~~い研究室を志望してました。

というか、僕が上司(通称)と呼んでる先輩が沼から足を引っ張ってきたので気づいたら電波専攻になってたって感じですけど。

そんな感じで匂わせみたいなこと言い続けてきたのに、4年生の時に新しく入ってきた先生が近しい分野なもんだからさぁ大変。浮気しました。

浮気っていうのが正直過剰な表現でなくて、志望研究室を変えたとき、変える前の研究室担当教員は本気で嘆いてました。いやその、本当にごめんなさい。

楽しい思いで

まず研究室のメンバーに恵まれました。恵まれたといっても、個々での絡みは多少ある程度なので、最初は多少気まずかったですが。

それでも各人が積極的にコミュニケーション取ろうとしてたので、空気感は全然悪くなかったです。悪くはないんですけど、各人が各人の仲良しグループで発揮する遠慮のない毒を相手に向けないので、全員が全員牙を抜かれた狼みたいなコミュニケーションしてましたが。僕は嫌いじゃないです。コミュ障なんで。

もっとこう、研究室っぽいオープンでフリーダムな思い出と言えば

  • 購買で駄菓子を箱買いして、駄菓子屋を名乗り研究室で売っていた
  • 飲料水の買い出し、ゴミ出し役をトランプゲームで決める
  • 高専祭のプレゼント抽選会で僕がバランスボールを当てたので研究室に放置した
  • と思ったらバランスボールを使用したダイエット動画が微妙に流行り、流れでダイエット動画が日課となった。
  • 専攻科の先輩にバランスボール持って突っ込む
  • 研究追い込み段階の12月ごろ、槇原敬之等90年代ヒットメドレーが流行
  • 何故かオーブントースターがあるのでおやつカルパスを焼く
  • 研究室にあるプロジェクターを使って勝手に旧劇場版エヴァ上映会を(他研究室のメンバーが)する

なんだかんだコロナの影響で、実際に研究室行けたのは半年前後だったんですけど、こうして書くと濃いですね。
あと今年から新しい部屋へ引っ越ししたので、1年間かけて大改装劇的ビフォーアフターをしてた1年でした。今では学科一快適な研究室です。地面で雑魚寝できるし家電はいっぱいあるしPCはミドルクラスのゲーミングです。先生が今年の費用注ぎ込みまくってたこだわりの部屋なので自信あります。
あ~あ おもしれぇ(ヘビクラ)
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現デスク。研究室メンバー力作。

辛い思ひで

まず担当教員が誤算でした(辛辣)。

いや、本当にお世話になりました。受験から研究まで親身に教えて頂いて。じゃあ何が悪いかって僕の人の見る目がゴミなだけなんです。

見る目がゴミって書くとダメな人間を見抜けないみたいなニュアンスになる!でも違う!本質?と捻じれ位置にある人間性を観測してしまう?みたいな?でもとにかく自分が悪い!

ということで、最後まで担当教員との距離感が掴めず、研究の苦労の半分ぐらいはそこでした。教員との相性もそうですが、コミュニケーションがハマるかどうかってものすごく大事。

友達関係だとかはある程度なあなあでいい要素も、上司部下かつ師弟みたいな距離感となると誤魔化し効かないことを学びました。恋愛と一緒だね

辛いエピソードと言えば

  • 教員の想定と自分の想定が一致せず一か月経っている
  • ネットにも書籍にも情報が無く泣く
  • 海外文献の雑さにキレそうになる
  • 中身の浅い企業ソースは勿論、適当を言う個人ブログにキレそうになる
  • 一か月程度の進捗が無に帰す
  • やりたいけどできないことがトラ技のミニコーナーであっさり解説されている
  • 文章力、プレゼン力の無さで恥をかく
  • 手際が悪い
  • 連日10時間勤務
  • 年末年始実験チャレンジ
  • 包茎疑惑事件

ちょっと心がしんどくなってきたので辞めます。

研究を総評して

しんどかったけど楽しかったし、確実に自分のレベルアップを実感できた、っていうところが素直な感想ですが、なんかこう浅い感想じゃないっすか?でもこれに尽きるんだよな...

その他思い出

免許持ちなので、こき使われて車で奈良県を爆走させられたり、お酒飲みに行くけど弱々なので毎回吐きかけたり、相も変わらずTwitter炎上芸人やったり、色々と思い出が出てきます。やっぱみんな、削られた時間の分思い出で埋めようと結構忙しく遊んでた印象です。逆に全力で遊び切ったんじゃないですかね?
僕はだいたい4年生になるまで気持ち悪いオタク的な方向性で荒れまくっていたのでアレ(どれ?)ですが、色んな人に仲良くしてもらったんだなあと思います。

高専5年間を総評して

馬鹿なオタクモドキが面白い人間のまねごとをしようと飛び込んだこの学校でいろんなものに揉まれて、いやもうほんとに揉まれたな、なんなら思想に殴られてるし言葉で斬られてる気もするけど、そのおかげで人間としてせいちょーできた気はします。たぶんきっとそうmaybe そう思っておきたい。
センチメンタルが嫌いなので締めない!シリーズ終わり!ここまで読んだ人、正直ひくよ!ありがとうございました